高校野球ファンを虜にしてきた、異色のキャリアを歩む石川ケニー選手。かつて名門・明秀日立高校をやめ、単身アメリカの大学野球へと飛び込んだ理由は何だったのでしょうか。今回は、その決断の裏側に迫るとともに、年齢・身長・出身校といった気になるプロフィールを詳しく紹介します。
さらに、ついに手にした“プロへの切符”と、今まさに描かれつつある彼の現在、そして未来へのビジョンを紐解きます!
石川ケニー選手の全ての情報がここに!ぜひ最後まで参考になさってください。
この記事で知れること
- 石川ケニー選手の現在
- 石川ケニーが明秀日立をやめた理由
- 石川ケニーの年齢・身長・出身校まとめ
- ジョージア大学での挑戦と躍進
- 石川ケニープロ志望届の提出の義務化について
- 石川ケニーの父と母、兄弟など家族構成
- 石川ケニーの高校通算本塁打
- 甲子園での成績
- 球速と最速記録
石川ケニー選手の現在
2025年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから6位指名を受けた石川ケニー選手。高校時代には甲子園を沸かせた左のスラッガーとして知られています。卒業後は単身渡米し、「二刀流プレイヤー」として投打両面でスキルを磨いてきました。
渡米後、最初に進学したのはアメリカ・シアトル大学。そして2025年現在はジョージア大学に在籍し、NCAA(全米大学体育協会)という最高峰の舞台で活躍中です。投げれば最速150キロ超のストレートを放ち、打てばスタンド上段に届くアーチを描く——まさに**“規格外の二刀流”**として注目を集めています。
ドラフト当日は、現地の早朝に朗報を受け、自身のInstagramで喜びのコメントを投稿。海を渡っての武者修行を経て、一回り大きく成長した石川選手が、日本のプロ野球という新たな舞台でどんな“凱旋劇”を見せるのか、ファンや関係者の期待が高まっています。
石川ケニーが明秀日立をやめた理由
明秀日立・選手リスト
高校野球界のスターとして注目されていた石川ケニー選手が、名門・明秀日立高校を途中で離れるという決断を下した背景には、単なる進路変更以上の葛藤があったといわれています。
複数のメディア報道によると、当時の指導方針や野球観をめぐって、指導者との間に「齟齬(そご)」が生じていたとのこと。練習方法や起用方針など細部においても考え方の違いがあり、それが石川選手の心境に大きな影響を与えたようです。
彼の胸にあったのは、「自分の野球の可能性をもっと広げたい」という強い思い。その志のもと、より自由で主体的にプレーできる環境を求め、ついに高校を退学し、単身アメリカへと渡るという大胆な選択をしました。
それは、プロを目指す道のりの中で“安定”よりも“挑戦”を選んだ、まさに彼にとっての人生のターニングポイントだったと言えるでしょう。
石川ケニーの年齢・身長・出身校まとめ
石川ケニー選手の基本情報を整理し、その歩んできたルーツを振り返ります。
石川ケニー選手のプロフィール
•生年月日: 2004年4月7日(ドラフト指名時点で21歳)
•身長・体重: 180cm・85kg(2025年時点)
投打両方で結果を残すための、まさに理想的なフィジカルバランスを誇ります。
•出身地: ハワイ・オアフ島
海と共に育った少年が、「本格的に野球を極めたい」という想いで日本へ渡りました。
• 出身中学校: 明秀学園日立中学校
この頃から既に、その野球センスと身体能力は群を抜いていました。
• 出身高校: 明秀学園日立高等学校(在学中に退学)
新たな挑戦を求め、高校途中でアメリカへ渡るという決断を下します。
高校退学後のキャリア
• シアトル大学へ進学:二刀流選手としての基盤を築く。
• ジョージア大学へ転校:さらなる高みを目指し、全米屈指の強豪プログラムで自らを鍛え上げました。
ジョージア大学での挑戦と躍進
全米大学体育協会(NCAA)の名門・ジョージア大学。ここは数多くのプロ選手を輩出してきた“エリート養成所”として知られ、競争は極めて厳しい環境です。
石川選手は、シアトル大学で二刀流として頭角を現したのち、この名門校に転入。自らの野球人生を懸けた「真価を問う挑戦」が始まりました。
ジョージア大の監督陣は、彼の潜在能力を高く評価。投手・打者の両面での起用を徹底する、まさに「戦略的二刀流育成」を実施しました。最速150キロを超える直球で奪三振を重ねる一方、打席では長打力を発揮し、試合の流れを変える存在としてチームを牽引。
特筆すべきは、全米大学トップ選手が集う夏季リーグ、ケープコッド・ベースボールリーグでの活躍です。石川選手は3試合の先発で防御率1.80という圧巻の成績を残し、その潜在能力を余すことなく証明しました。
このパフォーマンスがプロスカウトの目に留まり、2025年ドラフトでの指名という結果に直結。まさに、石川ケニーという才能が日本プロ野球界に“帰還する”必然性を示した出来事でした。
石川ケニープロ志望届の提出が義務化!?
通常、日本の高校生や大学生がプロ野球のドラフト指名を受けるためには、所属する連盟に**「プロ野球志望届」を提出する必要があります。
しかし、米国の大学に在籍していた石川ケニー選手は、この国内ルールの“適用外”**にあたる立場でした。
アメリカの大学野球(NCAA)に所属する選手には、日本のプロ志望届を出すよう「要請」はありますが、法的な「義務」ではありません。そのため、石川選手は提出の制約を受けず、結果的に日本球界から見ると“非公開の原石”のような存在として、水面下で注目を集めていたのです。
今回のオリックスによるドラフト指名は、まさにその**「隠れた逸材」を掘り当てた象徴的な出来事と言えるでしょう。プロ志望届という形式に縛られず、選手の才能をグローバルな視点で見極めたスカウト陣の「慧眼(けいがん)」が、この指名を実現させたのです。
現代野球が進む“ボーダーレス化”を体現する、極めて示唆に富むケースといえます。
石川ケニーの父と母、兄弟など家族構成
石川選手の歩んできた野球人生を語る上で欠かせないのが、家族の存在です。
ハワイで生まれた彼は、日本人の父とアメリカ人の母を持つ「国際色豊かなバックグラウンド」の持ち主。文化の架け橋のような環境の中で、幼少期から多様な価値観を吸収してきました。
父親は、石川選手が明秀日立高校で主将を務めていた頃、遠くハワイから常にエールを送り続けた存在。息子の挑戦を信じ、精神的な支柱として支えました。
また、兄のシェインさんも野球選手として活躍しており、その背中は石川選手にとって**「最高の目標であり、永遠のライバル」だったといえるでしょう。
石川ケニーの高校通算本塁打
石川ケニー選手は、明秀日立高校時代に高校通算35本塁打を記録しています。
この数字は、当時から彼の打撃センスとパワーが「群を抜いていた」ことを如実に示しています。
長打力に加え、ここ一番で結果を出す勝負強さも兼ね備え、チームの中心打者として確固たる存在感を放っていました。
甲子園での成績
石川選手は明秀日立高校在籍中、春夏連続で甲子園出場を果たしています。
ただし、結果は本人にとって「満足のいくものではなかった」かもしれません。
▶ 2022年春(第94回選抜高校野球大会)
明秀日立は1回戦で大島(鹿児島)に快勝。石川選手は猪俣駿太投手との完封リレーに貢献しました。
しかし2回戦、市和歌山戦では1-2でサヨナラ負け。チーム唯一のタイムリーを放つも、あと一歩及ばず悔しさを滲ませました。
▶ 2022年夏(第104回全国高校野球選手権大会)
3回戦で仙台育英と対戦し、4-5で惜敗。
「4番・投手」としてフル稼働しましたが、勝利には届きませんでした。試合後の石川選手の表情には、燃え尽きたような悔しさが残りました。
甲子園の舞台で“頂点”を掴むことはできなかったものの、全国の強豪と真剣勝負を重ねた経験は、のちのアメリカ挑戦において確実に生きる「糧」となったはずです。
球速と最速記録
高校時代から石川選手は投手としても高いポテンシャルを発揮しており、最速148キロをマークしていました!
その後、米国大学野球という新たな環境で投手としての才能が一気に**「開花」**します。
オリックスの牧田スカウトは、2025年ドラフト指名時に石川選手の「150キロを超えるストレート」について言及。
一部報道では最速154キロに到達したとも伝えられています。
恵まれた体格と卓越した運動能力が、米国でのトレーニングによってさらに磨かれた結果、球速も制球力も「次元の違うレベル」に進化したといえるでしょう。
まとめ:ドラフト候補・石川ケニーの現在
高校中退、アメリカ留学、そしてプロ志望届を提出せずに指名——。
石川ケニー選手は、まさに**「異端のルート」**を切り拓きながら、プロの世界へとたどり着きました。
その歩みは、従来の日本野球の「常識」を超え、選手のキャリア形成に新たな選択肢を提示したといえるでしょう。
挫折を糧に進化し、精神的にも肉体的にも逞しさを増した彼が、オリックスのユニフォームをまとい、どんな「新風」を巻き起こしてくれるのか。
彼の「壮絶な野球人生」と、そこから培われた実力・精神力が、これからの日本球界にどのような「変革」をもたらすのか——。
その未来から、目が離せません!!
↑上記の記事も人生の役に立つ内容なので、是非ご覧ください♪





